« 今日のジミベン。 | トップページ | 今日のジミベン。 »

2011年12月 7日 (水)

自分のなかの天心焼

茨城県窯業指導所による講座の講師をお願いされ、今なお震災の爪痕残る北茨城市平潟へ。
指導所の常世田さんのお誘いによるものだ。

講座は、先頃県の伝統工芸として認められた「五浦天心焼(以下天心焼)」を広めようと結成された「天心焼研究会」のメンバーと笠間にあり、今回の主催である窯業指導所の研修生の皆さん。

講座は12月1・2の2日間にわたり開催され、一日目は午後からクラフトバイヤーとして日本中を駆け巡る日野明子さん、2日目午前は笠間のグラフィックデザイナー笹目さんとアシスタント助川さん、そして午後から僕がそれぞれやきもの作家さんや陶芸家の卵に経営の視点からレクチャーする内容。

僕の講座は、昨年に引き続き「まちを歩きながらモノが生まれる地域を知る」ことをした。
あたかも「旅」のように自分のまちを歩く。
あらかじめ生徒さんに自分の作品を一つ持ってきてもらい、それを”大切な人”に見立てて景色をバックにとびっきりの写真を撮る。
それを元に改めて作品と向き合い制作の意味を問う。
この3つが主な内容で、与えられた3時間を歩いて撮って考えてもらった。

講座には日野さん、笹目さん、助川さんにもご参加いただいてまち歩きを楽しんで?いただいた。

閑話休題

陶芸に関して全くの素人なので深くわからないことの方が多い僕が言うのもなんだが、古くからやきものの歴史があると言われる北茨城市周辺で、「天心焼」はまだその体をなしていないと見る。なにせネーミングは平成に入ってから考えられたもので、”作法の決まり事”をくっつけてむりやり売り出している感が拭えない。”天心”という言葉にも本来もっと慎重にあるべきはずなのに、勢いで付けてしまった軽さが滲み出てしまいもったいない。

もったいないと思うのは、参加されていた「天心焼」に関わる作家さん達が皆真摯に陶芸に取り組んでいるように見受けられたからで、「天心焼」をムリに考えている戸惑いが作品を窮屈にしていると感じたから。

たとえば「笠間焼」なら誰もが笠間だとおもう共通の”味”を共有しているし、作家にも笠間で作陶するからには否が応にも自分のなかの笠間を持っているだろう。
だからこそ、笠間の陶芸家たちは、おそらく安心して自分の作品のなかに笠間を落とし込んでいくことができるのだ。

「天心焼」にはそれがない。
郷土工芸品として認められるために「天心焼」作成に当たっての伝統工芸認定に必要な注意書きを守ってつくることしか出来ていないのだ。

その先にあるのは知名度と観光客であるのならこんなおかしなことはない。
「やきものに適した環境があって、需要があって、魅力に作家が多く住み始めて」はじめて知名度や観光客が振り向いてくれるので、それまでに要する時間をごっそり抜いた施策はうすうすなそこが見えてしまう。

地域的には、笠間より少し古くからやきものがつくられていたらしい地である。その資源を掘り起こしていけばきっと自分の天心焼が生まれる土壌はじゅうぶんある。

「天心焼」が今しなくてはいけないことは、作家が(誤解を恐れずにいえば作法から離れてでも自由に)地域と向き合って制作することであると思う。
(必要とされているのが、観光客向けのお土産品だけじゃつまらないじゃないか!)

Dscn1448

Dscn1426

Dscn1408

Dscn1473

以下、講座でのみなさんによる”作品”
天心焼作家作品=(天心) 窯業指導所研修生作品=(研修)

「大事な人」と北茨城に「旅」にでて、景色をバックに大切に写真に収めること。


(天心)
Maki


(研修)
Suzuki

(天心)
Kawamatu

(天心)
Dscn1487

(天心)
Dscn1488

(研修)
Fuzita

(研修)
Toshi

(天心)
Asano


(笹目さんは、愛用の額賀さんのうつわと)
Sasame

(助川さんは愛用の郡司さんのうつわと)
Suke

加藤誠洋

|

« 今日のジミベン。 | トップページ | 今日のジミベン。 »